◆ 木曜日の仕事が終わって夜、アパートに帰って来ると、知らない所から手紙が来ていた。開けて見ると、いつか出した懸賞クイズに当選していたらしく、旅行の招待状とチケットが入っている。しかし、最近そんなものに応募した覚えはないのだが。これってもしかして、ものすごく昔、雑誌の広告を見て出したやつなんだろうか。それにしてはずい分、返事が来るのが遅いと思うが。
招待状を見ると、「夜汽車の旅」とか書いてあって、蒸気機関車の走っている写真が載っている。そして、チケットの方は、にこにこ鉄道の無料乗車券になっている。おや、ちょっと変じゃないのか、これは。にこにこ鉄道は経営が行き詰まって、今はもう電車は動いていないはずなのだが。いったい、いつ出したんだ、この手紙は。しかもよく見ると、チケットの有効期限は明日までで、それも夜の七時までに、にこにこ鉄道のお茶の湯駅の改札口まで行かないといけないらしい。今日はとっくに七時を過ぎているから、もう無理だ。と言うことは、明日しかない。しかし、どちらにしてもこれは無理だ。招待状の注意書きを読むと、お茶の湯駅に出かける前に、家の窓をすべて閉めて、カーテンも閉めて、しかも徒歩か自転車かどちらかで、途中一切、寄り道をせず、自分の家から真っ直ぐお茶の湯駅まで行かないといけない、と書いてある。と言うことは、仕事を休め、と言っているのか。定時で仕事を終えて急いで帰って来ても、いったんこのアパートに戻ってから自転車を漕いでお茶の湯駅まで行くと、はたして時間に間に合うかどうかは分からない。途中で信号待ちがあったらたぶん、間に合わないだろう。と言うか、いったい何なんだ、この手紙は。誰が出したんだ。
◆ 突然届いた不思議な手紙に、いったんは当惑したおれだったが、次の日になると、すっかりこのあほらしい手紙の事は忘れてしまっていた。
ところが、その日の夕方の終業時間の六時に、仕事を終えてタイムカードを押しに行くと、驚いたことにみんなが列を作って並んでいる。なんで今日に限って、誰も残業する人間がいないんだ。今日が金曜日だからか。それにしても、六時になったとたんにこんな風にずらりと列ができるなんて、今まではなかった事だが。
その時おれは、はっとした。昨日届いたあの不思議な手紙・・・。まさか、ここにいるやつ全員があの手紙を受け取ったわけじゃないだろうな。だいたい、にこにこ鉄道の沿線に住んでいる人間なんて、おれぐらいしかいないと思うんだが。どうも変だ。
偶然のことで昨夜の事を思い出してしまったおれは、帰りの電車の中でもずーっと、昨日届いたあの手紙の事が頭から離れなくなっていた。もしかしたら今夜、本当ににこにこ鉄道に出かけて行くことになるのかも知れない。何だかだんだん、そんな予感がして来た。昨日はまったく、そんなつもりはなかったのだが。
帰りの電車を降りると、駅前の自転車置き場に置いてあった自分の自転車に乗って、おれはアパートへと帰って行った。何だか妙に、気が重くなって来た。いつもの金曜日だったら、アパートの部屋に帰った後は、のんびりと自分の好きなことをやっていられたはずだったのが、今夜はそうは行かないような気がする。いつもだったら、飛ぶように自転車を飛ばしてアパートに帰って行くところが、今日はなんだかそんな気になれない。もっと遅く、仕事を終えてから帰って来ればよかった。そうすれば、旅行の招待の時間には間に合わなくなって、にこにこ鉄道までわざわざ出かけて行かなくても済んでいたのだが。ところが今夜に限って途中の信号が皆、青でいつもよりも早くアパートに帰って来てしまった。
しかたがない。この調子で行くと、招待の時間にちゃんと間に合うかも知れなくなって来た。まあ、お茶の湯駅周辺はしばらく行っていないから、今夜はだまされたつもりで行ってみるか。と言うことで、アパートに帰って来たおれは、チケットをポケットに入れて、部屋の窓を全部閉めて、カーテンも閉めてから部屋を出て、アパートの階段を下りようとした。
するとその時、ものすごい突風が階段の下から吹き上げて来て、おれは目を開けていられなくなった。それでおれは後ろ向きになって、階段の壁に手をつきながら、一段一段、アパートの階段を下りて行った。
やっと階段を下り終わってアパートの外に出てみると、いつの間にか風は止んでいた。さっきの強い風は何だったんだ。不思議に思いながら、外からアパートを見上げてみると、どの部屋の窓もみーんな、カーテンが閉めてある。これってもしかして、このアパートに住んでいる人たちはみんな、おれと同じように今夜、にこにこ鉄道に出かけて行ったって事なのか。そんな馬鹿な。しかし偶然にしては何か出来過ぎている。何か怖い。
◆ アパートの裏の自転車置き場で、再び自分の自転車に乗ると、おれはお茶の湯駅に向かった。するとやはり、途中の家々の窓は皆、カーテンが閉めてある。なんと驚いた事に、コンビニまで皆、ブラインドが掛けてある。さっき、駅からアパートに帰る途中の道ではそんな事はなかったのに、なんで突然、まわりの世界が豹変してしまったんだ。そして途中の信号はやっぱりずーっと青で、一度も信号待ちをする事もなく、お茶の湯駅にさっさと着いてしまった。
見ると、とっくに閉鎖されてしまったはずだと思っていた駅の改札口やプラットホームが、明るく照らされている。そしてホームでは、赤い電車が出発の時間が来るのを待っている。あの手紙はいたずらではなかったのだ。急いで駅の裏の自転車置き場に、乗って来た自転車を置いてから改札口まで走って行くと、駅の時計の針が六時五十九分を指していた。十分余裕で着いたと思っていたら、何とぎりぎりセーフだった。
プラットホームに駆け上がると、電車は二両編成で、ぽつりぽつりとざっと十数人の人たちが座席に腰掛けていた。ちょうど七時になったところで、ホームにアナウンスが流れた。
◇◇ お待たせいたしました。間もなく最終電車が出発します。 ◇◇
おれは急いで電車に乗った。乗るとすぐにドアが閉まって、それからゆっくりと電車が動き出した。乗ってからすぐおれは、はっと思った。さっき、最終電車だとか言っていたが、もしかしてこの電車は、もうお茶の湯駅には戻って来ないのか。しまった。そこまでは考えていなかった。次の駅ですぐ降りて、お茶の湯駅まで歩いて戻らないといけないのか。困った事になってしまった。
実は、にこにこ鉄道に乗るのは、今夜が生まれて初めてだった事もあって、おれの頭の中は不安と混乱でいっぱいだったが、ほかの乗客たちは雑誌を読んでいたり、新聞を読んでいたりと、いたってのんびりとしたようすだ。にこにこ鉄道って、閉鎖されたんじゃなくて、実はまだ動いていたのだ。
◆ いつの間にか電車が止まったので、もう次の駅に着いたのかと思って、おれはあわてて立ち上がった。ところが、いつまでたってもドアが開かないし、窓の外は真っ暗で、次の駅に着いたようなようすでもない。もちろん、何のアナウンスもない。しかたなくおれは、また座席に腰掛けた。ほかの乗客たちは相変わらず、本を読んだり、居眠りをしたりしている。しばらくして、再び電車が動き出したが、今度は何だかさっきとは逆の向きに動いているような気がする。何だか変だ、この電車は。ところが、乗っている人たちは、別にあわてたようすも無い。
ふと見ると、自分の斜め向こう側に腰掛けている女の人は、高校の時に同級生だった本山美香じゃないか。さっきからずっと本を読んでいたので気がつかなかったが、顔を上げたところでちょうど目が合った。おれは驚いたが、向こうの方はきょとんとしている。あれれ、人違いだったのか、もしかして。確かに、故郷から遠く離れたこんな町のこんな所で、ばったりと高校時代の同級生と出くわすなんて、偶然にしては出来過ぎてはいるが。しかし、顔つきから体つきからしぐさまで、何から何まで本山美香に本当にそっくりなんだが。
しばらくすると、車内にアナウンスが流れた。
◇◇ 間もなく電車は終点、お茶の湯駅に到着します。どなた様もお忘れ物の無いよう、今一度、身のまわりをお確かめください。 ◇◇
やっぱり、お茶の湯駅に戻って来たのだ。一体、何なんだ、この電車は。
電車がホームに到着してドアが開くと、乗っていた人たちが立ち上がって電車から降り始めた。おれも立ち上がって電車を降りてから、ホームでしばらくようすを見ていると、おれの斜め向こう側に乗っていたあの女の人が、いつまでたっても電車から出て来ない。どうなっているんだろうか、あの人は。ほかの人たちは皆、電車を降りてとっくに改札口から出て行ってしまっていると言うのに。見ると、あの女の人以外にも、まだほかに電車の中に残っている人がいるみたいだ。と思っていると、いきなり電車のドアが閉まって、それと同時に中の灯りが一斉に消えて、電車の中が真っ暗になった。あれれ、まだ乗客が乗っていると言うのに、何て事をするんだ。と思っていると、真っ暗になった電車は再び動き出して、闇の中に消えて行ってしまった。
◆ もしかしたら、さっきと同じように、あの電車はまた途中で引き返して、ここに戻って来るのかも知れない。誰も人がいなくなったホームで、おれはしばらく待ってみる事にした。ところがそのうち、ホームの灯りが端の方から順々に消えて行って、ホームの上は真っ暗になって、改札口の灯りまで消えてしまった。これはいかん。まるでこれは、おれに向かって、さっさとここから出て行け、と言っているみたいだ。おれは、あわてて走って改札口の外に出た。真っ暗のはずなのにやけに明るいな、と思って夜空を見上げると満月だった。なんと今夜は満月だったのか、とその時はじめて気がついた。
駅の裏の自転車置き場に停めて置いた自転車に再び乗ると、おれは自分のアパートに帰って行った。帰りの道もやっぱり行きと同じように、家々や店先は真っ暗で、道路の灯りだけが照っていて、そして信号はやはりずっと青だった。
アパートに帰り着いてみると、夕方出かけて行った時と同じで、どの部屋の窓も皆、真っ暗だった。自転車を置いて来てから、おれはアパートの階段を登ろうとした。すると今度は、階段の上の方からものすごい突風が吹き下りて来た。夕方ここの階段を下りて来た時とは、ちょうど逆だ。それでおれは、また後ろ向きになって、階段の壁に手をつきながら、一段一段、階段を登って行った。
やっと自分の部屋のある階に着くと、いつの間にか風は止んでいた。おれは、自分の部屋に入ると、カーテンを開け、窓を開けてみた。すると、町の中の家々は皆、灯りがちゃんとついている。さっきまで、町の中は真っ暗だったはずだったのが。いつの間に、こうなったんだ。驚いたおれは、さっき登って来たばかりのアパートの階段を急いで駆け下りて外に出ると、自分のアパートを見上げた。すると、真っ暗だったはずのアパートの窓には皆、灯りがついていた。
2004.12.12 記事公開