◆ あれっ、どうなってしまったんだ。おれは内心、あわてふためいた。同級生に何と言って声をかけていいのやら、何を謝ったらいいのやら、何が起こったのやら、わけが分からなくなって、おれの頭の中は混乱して行った。
と、その時、何者かがおれの背後から、おれの肩をぽんぽんと叩くのを感じた。おれはぎょっとした。この車両に、まだ誰か、ほかにも人間が乗っていたのか。一体、どこに今まで隠れていたんだ。おれは思わず振り向いた。すると、いつの間にか電車の車掌が、おれの座席のすぐ後ろに立っていた。
「お客さん。その乗車券は無効ですよ。」
いきなり車掌が、おれの目をにらみつけるようにして言った。ぎょっ。こいつ、おれのチケットがセロテープで貼り合わせてある事を知っていたのか。しかし、自動改札口はちゃんと通れたし。あ、もしかして、あの改札口を通った時に、もうバレていたのか。困った。どうしようか。と、おれがおろおろしていると、
「さあ、さあ。今すぐ、この電車から降りて下さい。」
と、車掌は突然、おれの襟をつかんで、力ずくでおれを車室から引っ張り出そうとした。
「あああ。ちょ、ちょっと待って下さい。電車が走っている時に、外に放り出されたら、死んでしまうじゃないですか。」
と、思わずおれは叫び声を上げた。するとその時、車掌の顔つきが変わった。
「あなた、今までに何度も、我々の車庫に忍び込もうとしましたね。でももう、これからはそんな苦労はしなくてもいいんですよ。今からあなたは、我々の仲間になれるんですよ。」
車掌は、不気味な笑みを浮かべながら、おれの胸ぐらをつかんでぐいぐいと引っ張って行った。あああ。おれは、同級生の助けを求めようとしたが、いつの間にか、同級生の姿は見えなくなっていた。
おれは必死になって抵抗しようとしたが、まるで力が出て来ない。いつの間にか、車室を通り抜けて、電車のドアの前まで、あれよあれよと言う間に引っ張り出されていた。見ると、ドアの外は真っ白の霧で、ほかには何も見えない。
「さあ、何も怖がることはないですよ。少しも痛くはありませんから、安心してください。」
車掌はそう言うと、電車の中のどこかのスイッチを押した。すると、目の前のドアが大きく開いて、激しい風と濃い霧が電車の中に吹き込んで来た。と同時に、どこか鉄橋の上を走っているような、ものすごい音が響き渡って来た。
「あっ。」
気がつくとおれは、電車の外の濃い霧の中に放り出されていた。あっ、もうだめだ。これで終わりだ。おれは濃い霧の中を深い谷間の底に向かって、延々と落ち続けて行った。
◆ 「お客さん。お客さん。大丈夫ですか。」
いつまで落ちて行っても、なかなか地面にぶつからないので、よっぽど高い所から突き落とされたんだな。と、ずーっと思っていたおれは、さっきから誰かに体を揺すられ続けて、やっと長い眠りから目覚めた。
「やっと、目が覚めたみたいやね。ずい分長いこと、寝言を言い続けとったでねえ。」
目覚めたばかりのおれは、まだぼんやりとした夢の続きの世界にいた。見ると、おれの目の前には、電車の車掌と一人の乗客が呆れ果てたような顔をして立っている。さっき、電車の外に放り出されたばかりなのに、何でまた座席に戻っているんだ。おれはまだ、夢と現実の間をさ迷っていた。
「もう、大丈夫やろ。」
目の前にいた乗客はそう言うと、重そうなトランクを引きずりながら車室から出て行った。
「さあ、お客さん。もう、終点に着きましたから、荷物を持って降りて下さい。」
車掌はそう言うと、荷棚から大きなバッグを下ろした。え、荷物なんて、おれは持って来てないぞ。おれがけげんな顔をすると、車掌は下ろしたバッグをおれの目の前に置いた。よく見ると、確かにおれのバッグだった。いつの間に、バッグなんか持って来ていたんだろうか。まだ、よく分からなかったが、おれは車掌に言われる通りに、やっと座席から立ち上がった。
見ると、電車の中は、おれと車掌以外には誰もいない。ホームからは、この電車はこの後、回送電車になりますので、ご乗車できません。というアナウンスが繰り返し聞こえて来る。そのうち、清掃作業の人がワゴンを押しながら入って来て、荷棚や座席の上に乗客が残して行った新聞や雑誌や空き缶やらを片付け始めた。どうやら、電車の終点に着いたと言うのは、本当のようだ。ようやくおれは納得して、バッグを肩に掛けると、乗っていた電車を降りた。
ホームに降りると、すぐ近くにベンチがあったので、おれはすぐベンチに腰掛けた。一体、自分は何故、ここに来ているのだろうか。と、ぼんやりと考えているうちに、自分は三週間の実習を昨日終えたばかりで、盆の里帰りの途中だったという事をようやく思い出した。それにしても、さっきまでずーっと見ていた夢が、今だに現実の事のように感じられる。三週間の実習が、なんだかもっと、ずっと長い期間だったような気がする。しかし、帰省の電車の中で居眠りしていた、ほんの短い時間の中で、よくあれだけ長い夢が見れたものだ。
ようやくおれはベンチから立ち上がると、両親が待っている家に帰るため、ローカル線のホームに向かった。
◆ ローカル線を乗り継いで、ようやく故郷の駅に到着したおれは、バッグを肩に掛けたまま、狭い駅の中の通路を歩いて行った。それにしても、狭い駅だな。昔はもっと、広かったような気がするが。何だか自分が、だんだん何かの錯覚に陥って行くような感じがした。
駅の玄関口を出て、駅前のバス乗り場に来たおれは、バスを待つしばらくの間、駅前の寂れた町並みを眺めていた。何か、町全体が疲れているように見えた。やっと来たバスに乗ると、乗っている人たちはお年寄りが多かった。バスが走り始めたが、バスの中から見る町並みも、古びた建物が多かった。途中、市内を流れる川を渡る橋を通った。久しぶりに見るこの川は、どうなっているだろうか。おれは、バスの窓から食い入るように外を見た。広い川原の中に、一筋の細い水の流れがあった。何と、いつの間にこの川は、こんなに細くなってしまっていたのだ。これなら、走って行ってジャンプしたら、跳び越えてしまえそうだ。もっと、もっと、すごく幅の広い、大きな川だったはずなのに。自分の中にあった故郷の思い出と、現実との違いに、おれはしばらく呆然としていた。
◆ やっと、自分が生まれ育った家に着いた時には、もう日が暮れかかっていた。さっそく迎えに出て来た父親が、たった今、親戚の叔父さんが帰って行ったところだと言って残念がった。家の中に入ると、父と母以外には誰もいなかった。姉は帰って来ていないのかと聞くと、ずっと前から家に帰って来ていたけど、明日から仕事が始まるとか言って、今日の昼過ぎに出て行ったと言う。お盆だと言うのに、家の中はがらんとしていた。台所で冷たいお茶を飲んでいると、忘れないうちにお墓参りに行って来い。と言われて、線香とライターを渡された。おれが、明日の朝には、もしかしたら、別の所に出かけて行ってしまっているかも知れない、とでも思っているようだ。渡された物を受け取ると、おれはそのまま墓に出かけて行った。
家から少し歩いた所にある墓地に行くと、外灯がついていて、結構、墓地の中は明るかった。それにしても、狭い墓地だ。両隣りが小さな町工場なので、余計に狭く感じるが。
さっさとお参りを済ませて、家まで歩いて帰る道の途中でふと、今日の電車の中で見た夢の中の、延々と地の果てまで続く平らな地面の光景が、偶然にも頭の中に蘇って来た。どうして町内の墓地が狭苦しく見えたのか、分かったような気がした。
家に帰って、三人で夕食を済ませた後、おれは一人で、応接室のソファに腰掛けたまま、ぼんやりと考え事をしていた。そのうち、秋の終わりまでには自分の就職先を決めないといけない事を思い出して、急におれは憂鬱になって来た。昨日まで三週間行っていた実習先の会社の仕事も悪くはなかったが、自分が本当にやりたいと思っている事とは、何か違う気がした。
出来る事なら、大学に入り直したい。でもそんな事は、現実にはできない。だんだんおれは、どうしたらいいのか分からなくなって来た。学校に通って勉強だけしていればよかった今までの人生が、急になつかしくなったおれは、ソファから立ち上がると、階段を上って、自分が高校時代まで使っていた二階の勉強部屋に入ってみた。
部屋の中には、自分が昔使っていた机や本棚が、そのまま残っていた。おれは椅子に腰掛けると、しばらく部屋の中をぼんやりと眺めた。それから、机の引出しを一つ一つ開けては、何が中に入っているのかを確かめて見たが、入っているのは使い道の無い小物ばかりだった。
もういい。悩んでばかりいても仕方ない。下へ行って、テレビでも見てようか。そう思ったおれは、椅子から立ち上がって、部屋を出ようとして、ふと本棚を見ると、大きな封筒が本と本の間に押し込んである。何だ、これは。と思って取り出して見ると、高校の同窓会名簿だった。ああ、こんな物、今のおれには関係無い。と思って、封筒を机の上に置いたまま部屋を出ようとしたが、ふと、自分の事がどのように書いてあるのかが気になって、封を破って同窓会名簿を開いて見た。名簿の中の自分の欄には、家の住所と家の電話番号以外には、何も書いてなかった。
よかった。何も、余計な事は書いてなかった。おれは安心すると、部屋を出て階段を下り始めたが、下りる途中で、待てよ、と思い、立ち止まった。気になる事が、もう一つある。そう思ったおれは再び階段を上り、部屋の机の上に置いた名簿をもう一度開けて見た。夢の中で会った同級生の欄を急いで探してみると、住所も電話番号も、すべての欄が空欄になっていた。どうして空欄になっているのだろうか。名簿をめくって行くと、ほかにも所々に空欄になっている人がいる。よく分からない。何の事やらさっぱり。おれはあきらめて名簿を閉じた。この人たちは、どこかに引っ越してしまっていて、もう連絡がつかなくなっているのだ。やっと、おれは悟った。
おれはがっくりと来て、全身のすべての力が抜けてしまったような感じになった。
「仕事なんてもう、何でもいいんだよ。」
おれは思わず、そうつぶやいた。
2005.10.08 記事公開